大山寺は神亀元年(724)に良弁僧正(ろうべん)の開基になると
の伝承があるが、確実な創建年代ははっきりとしていない。資料的には、
建武5年(1338)の土地の寄進に関する文書が残っていることから、遅くとも、
14世紀前半頃には、大山寺が存在していたことは確実である。当初は天台宗
に属し、仏と神と自然崇拝結びついた山岳修験の寺として大いに栄えた。
戦国時代には、統治を治めた里見氏・正木氏の庇護を受けた。
明治5年(1872)に真言宗に変わったが、現在でも大山地区の
祭礼では、この大山寺の境内に
各地区の神輿が集合するなど、神仏習合の名残りが認めらる。
「大山不動尊」千葉県指定有形文化財
現在の不動堂は、棟札の記載から享和2年(1802)上棟されたことが
確認できる。その翌年、初代伊八(武志伊八郎信由)が正面を飾る彫物
一式制作した。伊八52歳の円熟した彫技が存分に発揮されている。この彫物
を含め、不動堂は県指定有形文化財である。
「大山寺鐘楼」鴨川指定有形文化財
鐘楼は不動堂よりも建築年代が早く、江戸時代中期(18世紀半ば頃)
と推測されている。後世の改修がほとんど施されていないため、その当時の
建築様式をよくとどめている。
「大山寺石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)」鴨川指定有形文化財
高蔵神社への参道脇の宝篋印塔には、文和2年(1353)の
紀年銘が記されており、在銘の石造り物では市内最古の例として位置づけ
られている。
「大山寺不動堂棟札」鴨川指定有形文化財
現在の不動堂の前の不動堂が、天正14年(1586)に建てられている
ことが記録されている貴重な棟札である。
(説明板より)
(Map−Code#211 806 074*82)
長栄山光福寺は、元亨3年(1323)、日契によって大野竹野沢という所に
開山され、瑞龍庵と称した。その後、文明2年(1470)、日調に
よって現在の地に移転した。
光福寺は日蓮の高弟六老僧の一人である日郎が広めた比企谷門流の寺院で、室町期に
は狩野氏、戦国期には安房里見氏や正木氏、万喜土岐など戦国大名の庇護を得て発展した。
江戸時代には、寺領35石を有し末寺が17ヵ寺あり、本山である比企谷妙本寺、
池上本門寺からは行川妙泉寺と共に「伊北の両寺」と呼ばれ、中心寺院であった。
向拝の正面には初代波の伊八作の龍や「鶴」「兎」「鯉」の彫刻が彫られている。
(いすみ市発行資料から抜粋)
(Map-Code#130079267)
大同2年(807)伝教大師最澄の開基と伝えられている。寺には源頼朝の
伝承がある。安房に上陸した頼朝が、上総介広常を訪ねる途中、当寺に立ち寄り、
出された硯が見事だったので、「硯山」と山号をつけたといわれている。
また、その時、北の方で馬のいななきがあり、敵かと、持っていた筆を槙の木
に掛けたことから、その槙は「筆掛けの槙」と呼ばれるようになった。…
本堂欄間彫刻は寛政元年(1789)に彫られた伊八の作で、他にも薬師如来坐像
(県指定文化財)などがある。
(いすみ市発行資料から抜粋)
(Map-Code#287553041)
| | |