武蔵塚(熊本)

宮本武蔵

 宮本武藏
 武蔵は天正十二年(一五八四)播磨国(現兵庫県揖保郡太 子町宮本)に生まれた。
 幼名を弁助と云い、後に武蔵と改め、また晩年には二天道 楽とも号した。大小二刀を用いる二天一流を創始して後世剣 聖と仰がれた兵法者である。十三歳のときから二十八、九歳 のときまで諸国を歴遊し、六十余回も勝負したが一度も敗れ なかったという。吉岡一門との戦いや、佐々木小次郎との試 合は特に有名である。
 寛永十七年(一六四〇)武蔵五十七歳のとき、細川忠利公 に客分として招かれ軍事政治の顧問として仕えた。
 翌年、忠利公の命で武道の奥義に関する「兵法三十五箇條」 を上書した。また、武蔵は武術だけではなく茶、禅、書画三 昧の日々を送り文人としても名高く水墨画など名品を残して いる。
 忠利公没後、金峰山西麓の 霊巖洞 れいがんどうにこもり、 五輪の書を著 わした。 この他 、 武蔵が臨終の七日前にしたためたものに 「独行道どっこうどう」 がある。
 正保二年(一六四五) 五月十九日、武蔵六十二歳にして 熊本千葉城の自宅で没した。武蔵は生前の遺言によって主君の参勤交代を見守るため、 甲冑かっちゅうを帯し 六具ろくぐに身を 固め立見たちみの姿で この地に葬られたと伝 えられている。

宮本武蔵
 五輪の書は二天一流の基本的伝書で、序につづき「地の巻」 「水の巻」「火の巻」「風の巻」「空の巻」の五巻からなり、武蔵 独自の 兵法ひょうほう 観及び二刀流の太刀筋を述べ、兵法の基礎的なもの から人間形成の道まで、自分の修行の課程から得たものを集大 成した実践の書である。

 地の巻
 まず、地の巻には二天一流の基本的な考え方を説きながら兵 法の道のあらましを述べている。剣術だけでは、まことの剣の 道を知ることはできない。大きいところから小さいところを知 り、浅いところから深いところに至る基本的な道を示し、目的 のためにあらゆる手段を合理的に活用する法則を明らかにして いる。最初の一巻を地の巻と名づけ、八項目にまとめてある。
   一、兵法の道といふ事
   一、兵法の道、大工にたとへたる事
   一、兵法の道
   一、此兵法の書、五巻に仕立つる事
   一、此一流、二刀と名付くる事
   一、兵法二つの字の利を知る事
   一、兵法に武具の利を知るといふ事
   一、兵法の拍子の事

 
宮本武蔵
 水の巻
 武蔵はこの巻で、武蔵の修練した二天一流の剣法のすべてと  主体的に力を養う修練の方法を精神と肉体の両面からいかに鍛  錬するかについて、三十六項目に渡って詳細に説いている。   二天一流(兵法)を実践するにあたっての精神(水の心)の  あり方を説き、実際に剣を使って闘うときの心得を、勝負の体  験を具体的にふまえて説明している。また、一対一の勝負だけで  はなく、多戦の合戦においても社会生活全般においても原則と  して適用するものであり、ただ見るとかまねるとか言ういい加  減な理解ではなく、自ら見極め、よくよく研究(工夫)するこ  とを心がけるべしとしている。
   一、兵法心持の事          一、石火のあたりといふ事
   一、兵法の身なりの事        一、紅葉の打といふ事
   一、兵法の目付といふ事       一、太刀にかはる身といふ事
   一、太刀の持ちゃうの事       一、打つとあたるといふ事
   一、足づかひの事          一、しうこうの身といふ事
   一、五方の構の事          一、しつかうの身といふ事
   一、太刀の道といふ事        一、たけくらべといふ事
   一、五つのおもての次第、第一の事  一、ねばりをかくるといふ事
 
宮本武蔵
   一、おもての第二の次第の事     一、身のあたりといふ事
   一、おもて第三の次第の事      一、三つのうけの事
   一、おもて第四の次第の事      一、おもてをさすといふ事
   一、おもて第五の次第の事      一、心をさすといふ事
   一、有構無構のおしへの事      一、かつとつといふ事
   一、敵を打つに一拍子の打の事    一、はりうけといふ事
   一、二のこしの拍子の事       一、多敵のくらいの事
   一、無念無相の打ちといふ事     一、打ちあいの利の事
   一、流水の打といふ事        一、一つの打といふ事
   一、縁のあたりといふ事       一、直通のくらいといふ事
 
宮本武蔵
 火の巻
 この巻は、実戦の場に臨んで敵に勝つための駆け引き(戦法) を書きあらわしており、「水の巻」の応用編といえる。火は大き くも小さくもなり変化が激しいように戦いや勝負のことを火に 思いなぞらえている。変化が激しく一瞬を争う合戦はこうした ことをよく考え、日々習熟して、いざというときもいつもと変 わらずに戦うことが兵法の急所であると述べている。また、合 戦の道は、一人と一人の戦いも万人と万人との戦いも同じこと である。大局を洞察し、しかも細心によく吟味してみるべきで あるとも述べている。
 武蔵がきびしい鍛錬と実戦によって見出した「兵法の理」を 二十七項目にまとめてある巻である。
   一、場の次第といふ事        一、まぶるゝといふ事
   一、三つの先といふ事        一、かどにさわるといふ事
   一、枕をおさゆるといふ事      一、うろめかすといふ事
   一、とをこすといふ事        一、三つの声といふ事
   一、けいきを知るといふ事      一、まぎる、といふ事
   一、けんをふむといふ事       一、ひしぐといふ事
   一、くづれを知るといふ事      一、さんかいのかわりといふ事
   一、敵になるといふ事        一、そこをぬくといふ事
   一、四手をはなすといふ事      一、あらたになるといふ事
   一、かげをうごかすといふ事     一、そとうごしゆといふ事
   一、かげをおさめるといふ事     一、しやうそつをしるといふ事
   一、うつらかすといふ事       一、つかをはなすといふ事
   一、むかつかするといふ事      一、いわをのみといふ事
   一、おびやかすといふ事
 
宮本武蔵
 風の巻
 風というのは昔風とか今風とか言うようにその時の社会の動 向を示し、それぞれの家風などに使われている。  武蔵はこの巻で、他流の内容を九項目にわたって比較し、二 天一流の本質を明らかにし、正しい剣の道のきわめ方を力説し ている。
 他をよく知らなければ自己を知ることはできない。さまざま な事を行うのに下道(よこしまな心)という心があるが、日々 その道に励んでも内容が外れていれば自身では正しいと思って も客観的には真実の道ではない。真実の道をきわめないと、初 めの少しのゆがみがあとには大きくゆがむものであるとも述べ ている。
   一、他流に、大きなる太刀を持つ事
   一、他流におるて、つよみの太刀といふ事
   一、他流に、短き太刀を用ゐる事
   一、他流に、太刀かず多き事
   一、他に、太刀の構を用ゐる事
   一、他流に、目付といふ事
   一、他流に、足つかひ有る事
   一、他の兵法に、はやきを用ゐる事
   一、他流に、奥表といふ事
 
宮本武蔵
 空の巻
 武蔵の到達し得た「空」の境地をむすびの言葉として書き著 わしている。この巻では、武蔵の勝負を超越した心の 深奧しんおうをの ぞくことができるだけではなく、武士としての心と正しい兵法 の道の修練・鍛錬を通じた人間形成の目標を伝える武蔵の精神 の真髄が語られている。
 武士は、兵法の道をしっかりと会得し、その他の武芸の知恵 を学び武士としての正しいあり方をよく心得、心を迷わすこと なく 朝鍛夕練ちょうたんゆうれんに つとめしん(知恵と気力)を磨き、 かんけん(判 断力と注意力)を養い、すべて備わることにより、はじめて、 一切の雑念を拭いさった空の心に到達することを悟らなければ いけない。武蔵の求道者としての人間愛を感じざるを得ない巻 である。


 二天一流(五方の形)
 武蔵は、自分の剣法を五輪の書“地の巻” にて二天一流と名付けている。
 二天一流の二天というのは、武蔵が晩年に 泰勝寺たいしょうじ春山和尚しゅんざんおちょうから 与えられた、「二天 道楽どうらく」の 頭文字の二天からなる。
 五方の形は、二天一流の基本となる形である。
 
宮本武蔵
 宮本武藏先生獨行道に就て
正保弐年五月十二日(1645年)武蔵は自己の死期の数日後に迫るを覚り 病床に於て自ら筆を執りて獨行道と題し辞世或は自戒の心を以ってか 次の二十一ヶ条を書せり此碑は其の直筆を写し建設せしものなり
       獨行道
   一 世々の道をそむく事なし
   一 身にたのしみをたくまず
   一 よろずに依皆の心なし
   一 身をあさく思世をふかく思ふ
   一 一生の間ょくしん思はず
   一 我事において後悔をせず
   一 善悪に他をねたむ展なし
   一 いずれの道にもわかれをかなしまず
   一 自他共にうらみかこつ心なし
   一 れんばの道思いよる心なし
   一 物毎にすきこのむ事なし
   一 私宅においてのぞも心なし
   一 身ひとつに美食をこのまず
   一 末々代物なる古道具を所特せず
   一 わが身にいたり物いみする事なし
   一 兵具は格別よの道具たしなまず
   一 道においては死をいとわず思う
   一 老身に財宝所領もちゆる心なし
   一 仏神は貴し仏神をたのまず
   一 身を捨て名利はすてず
   一 常に兵法の道をはなれず

     正保弐年五月十二日
              新免武蔵
                 玄信(花押)  (説明版より抜粋)