西明寺
種尾山と号する、真言宗大覚寺派の準別格本ある。
高雄(尾)山の
神護寺
栂尾山の
高山寺ととも
三尾の名刹の一つとして知られ、
紅葉の名所して名高い。
天長年間(824〜834)に、弘法大師(空
海)の弟子、智泉が
神護寺の別院として開創し、
鎌倉時代の建治
年間(1275〜1278)に
和泉国(現在の大阪府南西部)槇尾山の
自性上人が
中興したと伝えられる。 その後、
正応三年 (1290)に、
後宇多天皇より名前を賜り、
神護寺から独立した。
現在の本堂は、徳川五代将軍綱吉の生母、
桂昌院が、
元禄十三年(1700)に寄進したも
のと伝えられ、正面の須弥壇しゅみだんに本尊の釈迦如来立像しゃかにょらいりつぞう
(重要文化財)が祀まつられている。この像は、 高さ五十一センチメートルの小像で、
清涼寺(嵯峨釈迦堂)の釈迦如来像を模して、鎌倉時代に
運慶によって作られたものである。
とりわけ、門前に架かる朱塗りの
指月橋付近
の眺めは格別で、多くの参詣者が訪れる。
京都市
素晴らしい灯籠が並ぶ表門を抜けると、そこは鐘楼や聖天堂、本堂、客殿が
迎えてくれた。早朝の物語である。
これより聖域、“大界外相”と刻まれた石柱の前を登る。
指月橋からの清滝川の眺めは気持ちがいいです。秋の紅葉の時にまた!
◆阿育王の石柱(アショカ・ピラー)
明治終わりから大正元年にかけて福島の小松寅吉さんが作った。
ルンビニ(ネパール国)の石柱(15m)に比べるとかなり小さいがライオン、ゾウ、
牛そして馬が彫られているそうだがライオン、牛 以外の動物はまだ発掘されていない。