室生寺
室生山のふもとに立つ室生寺は、真言宗・室生寺派の大本山である。古来、この地
域は神聖な場所として知られ、人々は室生山の岩穴(龍穴に棲む
といわれる龍神
(日本神話ではインド神話では?オカミ/インド神話ではN?ga:水の神)を崇拝してきた。干ばつの時、天
皇は使いの者をたびたびこの地に派遣して、池神に対する雨乞いの祈みをさせた。
寺伝によると7世紀後半に天武天皇(治世673~686)の勅命によって、役行者小角
が草創したと伝える。そして8世紀後半、桓武天皇(治世737~806)は興福寺の高
僧・賢mけんけいに寺の再起を命じたが、まもなく入寂(793) した。
そのため弟子の修圓
(771〜835)が引き継いで堂塔を建立した。その後、空海の高弟であった真泰が
真言密教をもって室生寺に入山した。さらに鎌倉時代には本堂(灌頂堂1308)や
空海を祀る御影堂が建立されたのである。
室生寺は、女性のための真言密教聖地として有名である。明治38(1905)年まで
女人禁制であった高野山(和歌山県)とは対照的に、室生寺は古くから女性の参
拝を許していたことから、女人のための高野山を意味する「女人高野」として知られ
ている。
金堂
鎧坂(武士の鎧の草摺のように見えることからこの名がついた)石段の頂上に位
置する金堂は、9世紀半ばに建てられたものであり、室生寺の中でも最古建築の
一つである。「懸造」という建築法による石積みの壇上に建つ珍しい造りで、屋
根は柿葺である。
金堂の神聖な内陣は、光背のついた大きな5体の仏像が立ち並び、その前には12
体の小さな仏像が並ぶ珍しい配置であった。しかし、現在は3体の仏像とその前
に6体の小さな仏像が並ぶ。中央の本尊は釈迦如来立像である。向かって左は、
智慧を極めた仏である文殊菩薩立像(Manjusri:美しく可愛いという意味)、向
かって右は、薬師如来立像(Bhaisajya-guru:医師の意味)で、平安時代初期の
制作である。その前に立ち並ぶ6体は鎌倉時代(1185〜1333)に制作された十二
神将立像である。生き生きと彫られた大将軍たちは、12の方位を守設し、それぞ
れ十二支の動物を、目印として頭の上に載せている。なお、金堂に安置されていた
十一面観音菩薩立像と地蔵菩薩立像、そして十二神将立像の内6体は、2020年3
月から資物殿に安置されている。
金堂の本尊である釈迦如来立像は榧の
一本造りである。像と光背は平安時代
(794~1185)初期の制作であり、当時の仏師の優れた彫法と技術の高さを示す
好例である。その写実的で流れるような辰砂の
朱色衣は「漣波式」と呼ばれる
様式で彫られている。そして、この衣の表現は特に「室生寺様」と呼ばれてい
る。歴史学者たちは、この像はもと薬師如来としてつくられたものだと考えている。
なぜならば、光背には薬師如来を含む東方の七つの浄土(仏国土)の教主たちが
描かれており、そして薬師如来の従者たちである十二神将立像に囲まれ、さらに
金堂外陣の?虹梁(つなぎこうりょう)にある板蛙股に
は薬壺がそれぞれ彫られているからである。
五重塔
高さわずか16.1mの五重塔(卒塔婆Stupa)は、
屋外に建てられた塔としては日本
で一番小さく、法隆寺の塔に次いで2番目に古いものである。9世紀初めに建てら
れたこの塔の屋根は檜皮葺で、
一番上の相輪部には通常では見られない天蓋てんがいとフ
ラスコ形の水瓶が飾られている。室生寺の自然と建築の美しさのシンボルである
五重塔は、歴史上の釈迦牟尼仏(sakva-muni:釈迦族の聖者)信仰を起源とす
る記念碑である。春は石楠花しゃくなげ、秋には楓の
紅葉に囲まれる姿は特に素晴らしい。
1998年、台風によって杉の大木が塔に倒れかかり大きな損傷をもたらしたが、仏
教徒だけでなく、様々な宗教の信仰者からも寄付が集まり、塔は2年かけて再建
された。
相輪部