井山宝福寺

井山宝福寺

 井山宝福寺は、臨済宗東福寺派の中本山で七堂伽藍が完備されており、 地方では珍しい巨刹といわれております。なお、この寺は天台宗の古刹で あったものを近在、真壁郷出身の名僧鈍庵(どんあん)和尚が、貞永元年 にこの地に伽藍を建立し禅僧に改めたと伝えられております。また、雪舟の ねずみの 伝説も残されております。  (説明版より)  
(Map-Code#111 688 522)

井山宝福寺

 三重塔
国指定重要文化財
 様式は室町中期の特色を有する代表的建造物とい われ、凡そ六百年前のものであります。幸い、天正 年間の兵史にも免れ、再三の修復を経るも当時の形 式を踏襲し、その特質を損することなく保存され、 昭和二年国宝の指定を受け、その後特別保護建造物 となり、戦後、重要文化財と改称されました。  木造建築ゆえ白蟻の害と六百年の風雪に堪えかね て、昭和四十二年解体修理に着手し、昭和四十四年 十月竣工しました。山内第一の古建築が外見上最新 の建造物となりました。
 塔内一層には須弥壇を設け大日如来と脇侍四天王 を安置し天井には約二百五十年前の人で竈山和尚筆 の天女の絵があります。  

井山宝福寺

   

井山宝福寺

 少年雪舟像。  

井山宝福寺

 幼少雪舟像。  

井山宝福寺

 幼少雪舟像を見入る少年。  

井山宝福寺

 方丈
この建物は「方丈」といいます、凡そ二百三十年 前の建築であります。東西二十五メートル、南北十 六メートルの大殿は山内第一の大きさです。
 画聖雪舟が小僧時代に柱に縛られて涙でネズミの 絵を描いたという伝説はこの堂内での出来事であり ます。
 しかし、天正三年(一五七五) 備中の兵乱の際、 方丈は焼失し、雪舟が縛られたという柱は現存して いません。
 その後、二度にわたって復興したものが現在の方 丈です。 説明版より  

井山宝福寺

 雪舟碑
雪舟等楊禅師は約五百年前の人であり、総社市 赤浜に生まれ、十二才の時当山に入門し小僧とな りました。天性画を好み経巻を事とせず、遂に師 僧の怒りに触れて方丈の柱に縛られ、落つる涙を 足の親指につけて板敷に鼠の絵を描いたというこ とは有名な伝説です。
この碑は昭和三年の建立であり、材は仙台石、 高さ四・五メートル、幅一・四メートル、厚み三十 六センチ。碑面を三段に分ち、上段の円相内は雪 舟の自画像、中段は雪舟筆宋の育王山の全景、下 段は藤井高尚の撰文、頼山陽の筆になる碑文であ り、画聖の雪舟、国文学の泰斗たる高尚、漢文学 の自眉たる山陽という三大文化人によって成る碑で あるため、「三絶の碑」と呼ばれています。 説明版より