月山・羽黒山・湯殿山三神社
南北朝時代の元中四年(1387年)岩根沢口に開基して、長耀山日月寺(ちょうようざんにちがつじ)
と称する。この時、出羽(羽黒)修験は、すでに月山を初め出羽の広大な山域での真摯な修行に世の信仰を集め
、岩根沢の修験もその一翼としてここ日月寺を根本道場として、日夜の厳しい修行に精進していた。
もっとも、寺は三度火災に遭い、現在の伽藍は天保12年(1841年)の再建だが、江戸後期のこの時点にも、
なお中世以来の神仏習合の考え方を踏襲し、伽藍建造もまた、神仏一体の教理にもとづいて
建築されている。しかし、明治初年、政府は神仏分離令を厳達した。修験道は堅く棄釈、神勤を命じられ、
そのため、永年積み上げてきた修験道の歴史的文化が排除されることとなった。しかし、日月寺は、
いち早く神勤を願い、明治3年に神祇官の許命があり、伽藍は若干の内装を改めただけで、
標記三神社となったものである。そのため、今日なお大幅に修験道伽藍の実態を遺しており
、修験道文化を把握する上で、貴重な建物である。 (説明板より)
歴史との出会い へ
アルバム(月山・羽黒山・湯殿山三神社)
大きな地図で見る